この職場で働くようになって初です。
フロアががらーんとなるまで、残業してきました。だって全然思ったように片付かないんですもの。あまりにも量が多くて。私の仕事は、1ヶ月のうちにやることがきっちりと決まっている。好きな日に出勤して、それをとにかく片付ければよい、といういたって気楽な職場だ。派遣では珍しいくらい自由。
お金を稼ぎたければもっと出勤日数を増やしてもいいし、残業したければしていいし、朝早いほうが良ければ朝早く行けばいいし、あるいは「じゃあ午後だけ」とか「じゃあ午前中だけ」とかもあり。やることさえやれば、フルだろうが週2,3日だろうが(今はずっとこれ)何でもいい。
だもので残業を選びました。
本日中に終わらせたい仕事がいくつかあって、そのうちのひとつは肉体労働。ほんとうに恥ずかしいんですけれど、私、あまりにも汗びっしょりかいてしまいまして、トミコさん(上司)に制服のシャツをお借りしてしまいました・・・・。
基本的に寒がりなんだけれども、若年性更年期障害予備軍のせいなのかすごくのぼせるのね。ただでさえ社内も暑く、そこで肉体労働となると、もうフラ~っとくるんですよ。減薬中だし。でもこれ、今日中に片付けちゃいたい!! と思ってがんばっちゃった。
自分の部屋ならいくら散らかっても大丈夫なのに、会社はダメ。デスク周りに書類が散乱しているのもだめ。これは昔からです。不思議。あー、だから去年の清掃のお仕事も楽しかったんだ。
とにかく、いつ死んでも、デスクを見ればすぐにどの仕事がどういう状況かが分かる状態にしておかないと何だかすっきりしないんです。お仕事が終わった気がしないんです。
何はともあれ終わらせた・・・・。肩パンパンです。
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昨晩遅く(今朝未明、というのかな)、入院していた大叔母さんが亡くなりました。
母のおばさんに当たる人です。数週間前に意識を失い、その後は目を覚ますことなく、人工呼吸で生きていました。
会うことは滅多になかったおばさんですが、電話はしょっちゅうしていたし、手紙のやりとりもしてた。
彼女は一生涯独身でした。
私が知る限りでは、ピアニストとお付き合いしていたのが最後だった。そして、ずーっと銀座でママをしていました。独りで生きるのはとても大変だろうな、と今の私ならその苦労に思いを馳せることができますが、小さいころから「そういうおばさん」だと思っていたので、楽しそうにしか見えなかった。だっていつも本当に冗談を言って大声で笑っていたんだもの。
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小学3年生の頃、おばさんが私を養女に引き取る、と言ったことがありました。
海でした。
「養女になったら、もう学校なんて行かなくていいよ!」
とおばさんは言いました。私は目を輝かせ、それはいい!と思いました。そしておばさんは、
「学校なんか行かないで、あちこち旅行しよう。野菊はどこに行きたい?」
と聞きました。私は当時ライザ・ミネリやジュリー・アンドリュースが大好きな変な子供でしたので、すかさず
「あめりか!」
と答えました。アメリカは自由で、キラキラしたミュージカルをこの目で観ることができたなら、なんと素晴らしいことだろうと思っていました。ライザ・ミネリもジュリー・アンドリュースも、そのときはとっくに舞台にはいなかったけれども。
私は海を後にする車の中で、青空を見ながら、「わたし、あめりかに行くんだ! 学校に行かないで、旅行ばっかりするんだ!」と胸を躍らせていました。何て素敵な人生!って。
ところが帰宅後、その話を両親にすると、両親はカンカンに怒って、どうしてあんたを養女に出さないといけないのだ、おばさんはなんでそんなウソをつくんだ、と大変な騒ぎに。私の夢は半日で終わっちゃったのでした。
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私が脚本の勉強をしていると言ったら、それがどこでどう変換されてしまったのか、いつの間にかおばさんは電話のたびに
「あんた、作家先生になった?」
と聞いてきました。大人になっちゃった私はちょっと苦笑しつつ、なってないよ、と答えていました。最初の頃は本当に仕事を辞めて籠もっていたし、病気もひどい時期だったし、正直、わずらわしささえ感じていたのです。なれるわけないじゃん、と思ったりもしました。
おばさんからの最後の電話は、母宛のものでしたが、母は出ることを拒みました。お金の絡んだことだったので。大人の事情で。私もそれを知っていたので、代わりに話しました。ひとしきりおばさんは謝ってから、言いました。
「あんた、作家先生になった?」
って。私はもう元気だったので、「なれないんだよねー」って笑って答えました。
「結婚は? いいひと、いる?」
さらに私をドッキリさせる質問です。「いないよー」と言うと、
「あちゃー、それは災難だわ」
と。そして続けて言いました。「あんた、あたしの人生を書きなさいよ。あれよ、なんとか松子よりもずっと凄いからさ、面白いよー、今度話聞きにきなさいよ!」
そして、いつものように、ガハハと笑って、「もう死んじゃいそうだけどさ!」って言ってました。
それが、最後の電話。
そして最後におばさんと喋った親戚は、私だったってことも分かりました。
あの電話だったんだな。ほんの、2ヶ月くらい前のことなのに、おばさん、本当にあの世にいっちゃった。
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おばさんの人生がいかに壮絶で大変なものだったかを、私は両親からちらちらとは聞いていました。そこには例の「大人の事情」も絡み、まあ色々あったみたいです。母とも。もちろん母は、今連絡ができる唯一の親戚がそのおばだったので、普通に連絡はしていたけれども。最後の電話以外は。倒れてからは、なんだかんだと言いながらも、お休みのたびにお見舞いにかけつけていた。仕事の日も帰りに病院に行ったりしていた。母はおばさんを決して善人だとは言わないけれど、やっぱり好きなんだな、って思いました。
おばさんの話、聞けなかったなあ。
でも、長生きしていてもたぶん聞くことはなかったと思う。分からないけれど、そんな気がする。私は思いを馳せるだけだ。人生ってそんなもんだ。
そして、どんなに壮絶な人生だったとしても、おばさんはいつも楽しそうに見えたよ。それってすごい事じゃない? 私、それだけでおばさんはちゃんと人生を頑張って生きたんだな、って思える。たとえ、母には人間のドロドロした面を見せていたとしても、少なくとも私には一度も辛気臭い話はしなかった。いつでもげらげら笑って、バカみたいな冗談言って、「あんた、世の中もっと色々見たほうがいいよー、へえ~っていうこと、いっぱいあるからさ!」って受話器の向こうから耳がつーんとするほど大きな声でがなっていた。
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昨晩、私は全然寝付けませんでした。
おばの死を知ったのは今朝なのですが、昨日おばさんが亡くなることは、知ってた。
変な話なんですが、それに私には霊感も何もさーっぱりないんですが、こういうのってあるよね。人間も動物だし。だから知っているということをおかしいと思わなかったんです。
虫の知らせ。
母は、最後にお見舞いにいったとき(一昨日だ)、
「おばさん、死ぬときは野菊に知らせてね。あの子ちょっと変だから、分かると思うし」
って伝えたらしい。余計なお世話を! 怖いじゃないか!
でも、まんまと分かっちゃいましたわよ。
最初は帰りの電車の中で。
はっと、「今夜おばさん、死ぬな」って思った。
が、帰宅後もそのまま電話が鳴ることはなく、妙な言い方をすれば「おかしいなあ」って思ってました。そのくらい普通に「死んじゃうな」って思ったから。
そうしてお台所でぼーっとしていたら、文字通り「虫の知らせ」がやってきました。
突然、目の前に、ハチが止まったのです。
すごくびっくりした。ぴゅーんって飛んできたから。そして、私の目の前に止まって、じーっとしている。お行儀良くこちらを向いて。
咄嗟に「おばさん?」と聞いてみたけど、返事はない(当たり前)。
どうでもいいけど、私は虫をつかまえるちょっとしたプロです。家の中で発見された虫は、ゴキブリからコウモリまで(入ってきたことがあるのです)、全部つかまえて逃がしちゃいます。
ハチは私が動こうが、テーブルを揺さぶろうが、びくともせずにじーっと見ている。
だもので、のんびりと捕獲して、お庭に放ちました。
やれやれ、とテーブルに戻ったとたん、今度は何と、目の前に天井からミノムシみたいな虫がふわーんと降りてきたではありませんか。こんなに続けて虫が。
それは糸をたらして降りてきて、でも蜘蛛じゃなくて、なんだか分からないのだけれど。
また、
「おばさん?」
と聞いてみた。返事はない(やっぱり当たり前)。
そして、私がふーっと息を吹きかけても、じたばたしないでぶらーんとぶら下がっている。
またもや捕獲して、庭に放ちました。
何だか不思議な夜だなあ、と思いました。
布団に入ったもののなかなか寝付けません。
2時を回った頃、今度は突然地震が!!
あわわ~と思って飛び起きたら、地震ではなく、私の鼓動でした。アホでしょ。そしてその瞬間、
「あー、おばさん、死んじゃったな」
って思いました。そうして何だかすーっと眠りに落ちました。
電話のベルで目覚めました。おばさんが、2時すぎに亡くなったという知らせでした。
納得して、ほんとにおばさん、知らせに来たんだな、と思いました。
そして色々な大人の事情もあるので、私はそのまま仕事へ行くことになり、なんだかいつも以上にせっせと働いてしまったのでした。
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こういうことって単なる偶然なのだろうけれど、ちょっと面白いな、って思った。
「虫の知らせ」を本当に「虫」で知らせてくれたのだとしたら。そのまんまじゃん!
「あんたは頭悪いからさあ、ストレートにいったよ!」
っておばさんの笑い声がしそう。私が死んで、いつかまたおばさんに会ったら、絶対聞こう。
「あれって、『虫の知らせ?』」
って。
あまり会うことはなかったおばさん。
でも、色々教えてもらったんだな、って思った。
楽しむこと、笑うこと、これって本当は本当に大変なことだ。
それをやっていたんだな。私と血のつながった人が。じゃあ私もできるかな。
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おばさん。
本当にお疲れ様。がんばったね!!